余白的

人間の余白部分

人生の戻れない分岐点を、抱きしめることができるか/「バベットの晩餐会」感想

もしも、100万円当たったら

 
もし100万円当たったら何に使うか?というのは、鉄板妄想話題の1つだと思う。
この物語は、そんな妄想のうちの一つである。
 
 
バベットの晩餐会」は、ノルウェー山麓、小さな村の牧師の老姉妹、そしてその家に仕えるフランス人の女中・バベットの物語だ。
敬虔なキリスト教牧師の娘として、老姉妹は村の心の拠り所となっている。姉妹は清廉潔白、優しく穏やかで、求婚者は幾度か現れたものの、ただの一度も恋人を持ったことはない。
バベットは1871年パリ・コミューン樹立の闘いの最中、夫と息子を亡くす。知り合いを頼ってノルウェーに亡命、老姉妹の下で働くことになる。
バベットはある日、1万フランの富くじを当てる。彼女はこの1万フランを元手に、姉妹が予定していた祝宴の料理を作らせてほしい、と願い出る。実は、彼女はフランスでコックの経験があったのだった……
 
 
 

”優しければいい人”なのか

イサク・ディーネセンという作家は、ひょっとするとあまり素直な性格ではなかったのではないか、と思う。
さらっとあらすじを読んだだけだと、老姉妹は聖女のように穏やかで、優しいのだろう……と思うのだが、読んでいくとひっかかる場面が出てくる。
 
例えば、バベットが富くじに当たるシーン。バベットに当選の連絡が届いた後、老姉妹はシームレスに村中にそのニュースを伝え、あまつさえバベットがなにも言及していないのに、「バベットはフランスに帰国する予定だろう」と尾ひれをつける。嫌なやつらである。
 
また、例えば、バベットが晩餐会のために、ウミガメを材料として仕入れたことを知り、姉マチーヌが恐れおののくシーン。マチーヌはバベットに祝宴を任せたことを後悔し、なんとバベットが自分たちを毒殺しようとしているのではないかとすら考え始める。それを聞いた村人たちは、老姉妹のために、「バベットの料理について、何も感じないことにし、何もしゃべらないことにしよう」と固く誓い合うのである。小さな村の結束したイヤーな感じが実に醸し出されている。
 
さらに、主人公であるバベットすらも「浅黒くて寡黙な外国女」とか、「井戸からのぞくような黒い目」とか、「魔女」とか、この描写からはあまり気持ちのいい見た目をしているとはいえない。
 
ただこのイヤさが、そのまま彼らを醜くしているかというと、そうではない。あくまで老姉妹は「優しく」、村人たちは「敬虔で」「信心深い」のである。そしてバベットは「すぐれた芸術家」なのである。
 
ラストにも通じることだが、人間の聖性と俗物性は同居するものなのだ。そして同様に、真の芸術も案外日常の近くにあるのかもしれない。ただそれを理解できるかというと、それはまた別の話である。
 
 

芸術を理解できるか

この話は、”バベットの料理に村の人々が驚いたちょっといい話”ではない。
 
事実バベットの料理について、村人たちは「誓い」を守り、一言も料理について評価をしない。よそ者である、都会から来たレーヴェンイェルム将軍(彼は、パリでバベットの料理に一度触れたことがある)によって、わずかに驚嘆が表現されるだけだ。それも、彼の大いなるスピーチが始まってしまうと、会食はほとんど夢の中のようになってしまい、何の料理が出たかさえ老姉妹には思い出せない。
 
評価しないというよりも、村人たちにはバベットの料理を評価することができないのである。将軍のスピーチが良いのか悪いのかも正確にはよくわからない。なぜなら、彼らはそのような訓練を受けていないためだ。
 
バベットはパリの貴族たちを、
…あのかたがたは、おふたりにはまるで理解することも信じることもできないほどの費用をかけて、育てられ躾けられていたのです。わたしがどれほどすぐれた芸術家であるかを知るために。…
と評する。
 
バベットの料理は、芸術は、すぐれているがゆえに、同様にすぐれた者にしか理解しえない。
 
しかし、この物語は、芸術が理解されることと、芸術がもたらす作用をはっきり区別している。
会食が進むにつれ、参加者は夢のような心地になってゆく。もはや自分が何を食べているか、飲んでいるかさえ忘れてしまう。そして、長年いがみあっていた村人は和解し、将軍はついぞ口にすることのなかった本心を口にし、難聴のものは耳が聞こえるようになってしまう。
…あのときは、この地上での世俗の幻想が、彼らの目から煙のように消え失せてしまって、彼らは本来の世界を見ていたのだ。至福千年の時を彼らは一時間だけ与えられたのだ。
それは、間違いなくバベットの料理の力であり、この物語が”バベットの晩餐会”と題されている理由であろう。
 
真実に芸術を理解することなく、芸術のすばらしさを言葉にして評価することができなくても、芸術は人を変えうる。
 
 

人生の戻れない分岐点を、抱きしめることができるか

晩餐会が終わった後、バベットは達成感に浸っていると思いきや、青ざめ疲れ切っている。これはパリでの、自分が芸術家として生きられた日々を思い出したからだろう。
 
彼女のうつくしい日々はもうない。彼女を理解する場所、彼女がのびのびとその力を発揮する場所は永遠になくなってしまった。バベットは晩餐会を通して、改めて自分の失われた芸術について考えたのではないか。
 
もちろんその夜、彼女の料理は、誰にも認められないまま奇跡を起こしている。しかし、彼女の料理を評価できるものはもういない。
(そして、正確に言えば彼女自身、彼女の仲間たちのコミューンの手で、彼女を理解してくれる貴族たちはいなくなってしまった)
 
絶望したバベットに声をかけるのは老姉妹のうちの一人、フィリッパである。
彼女は類稀なる美しい声を持つ。一度、その才能を見出されたものの、自らその機会を断った過去がある。
 
彼女は、神に仕える道を選び、自身の才能を”芸術”とすることはついぞなかった。
彼女はバベットと異なり、始まる前から失われてしまった芸術を知っている。
「でも、これで終わりじゃないのよ、バベット」
その言葉は、バベットに向けて、そして彼女自身の過去に向けて言っているようにも思える。
 
「天国でも、あなたは神さまのおぼしめしどおりの偉大な芸術家になるのだわ」
フィリッパは、彼女が選ばなかった道そのものであるバベットを抱きしめる。人生のもう戻れない決定的な瞬間を、振り返るだけではなく、抱きしめるのである。
 
その時、バベットは(そして我々は)どこか救われたような気持ちになったのではないか。そして、それは、またある種の奇跡だったのではないか、と思う。
 
 

次はこれを読みたい

映画にもなっている。ウミガメもちゃんと出ている。

mermaidfilms.co.jp

youtu.be

 

 

同作者の「アフリカの日々」も面白そう。池澤夏樹の世界文学全集にも入っていますね。

https://www.amazon.co.jp/dp/4309464777/ref=cm_sw_r_tw_dp_87BXJ11BVKAMDDAV2JDQ www.amazon.co.jp

 

 

このブログについて

趣味について書くブログです。

 

今月選んだ本/今月読んだ本と、その感想

読書が趣味だ。

……と思っていたのだが、読書よりも、Amazonレビューや読書メーターの感想欄を読むほうを楽しんでいることに気が付いた。

Amazonのレビューは神社の絵馬や、短冊の願いごと、居酒屋のなんでもノートといったものに通じている気がする。)

読書の没入体験はもちろんのこと、

その人間がどうしてその本に出会ったのか、

その人間がどんな見方で本を読んだのか、

その人間のどんな体験がその本とリンクしたのか、

みたいなことにかなり興味がある。

人にお願いするにはまず自分から、ということで、ブログを始めることにした。

本を好き勝手に選んで読んでいるので、選んだ理由、読み終わったらその感想を書く。なるべくパーソナルな選定理由、パーソナルな感想を書きたい。

あとかなり忘れっぽく、積んだ本のことを忘れがちなので、その解消も含めて。

 

作ってよかったもの/買ってよかったもの

個人的には、年末の”今年買ってよかったもの”記事ラッシュが大好き。

金の使い方は、人生というコインの裏面といってもいい。

とにかく人が買ったものの話を聞くのは楽しい。買ったときの気持ちや、どんな顔してAmazonのカートにこの商品を入れたのか想像するだけでもうれしい。

 

人にお願いするにはまず自分から (2) 、ということで、買ってよかったものを積極的に紹介したい。

それから、作ってよかったなあと思っているものも紹介したい。

 

 かめ

 可愛さが亀状の形をとったもの 

それを人は古来より”かめ”と呼ぶ

f:id:yohakuteki:20201206163609j:plain

 

f:id:yohakuteki:20201206163632j:plain

f:id:yohakuteki:20201206160111j:plain


3匹の年齢不詳かめ(クサガメ♂、イシガメ♀、ミシシッピニオイガメ♂)を譲り受けて飼っている。

かめは恒温動物よりも技術書が少なめですが、できるだけ知識をつけて幸せに暮らせるようにしてあげたい。

 

よろしくお願いします。